運命の日
2006年12月8日(金)
6:30
朝の血圧は135/83。朝にしては、いつもに比べ高い。
昨日、一昨日と同様に頭が重い。
とはいっても、今日は名古屋行きだ。いつもはマイカーで直行であるが、今日は部下の運転する社用車に同乗という気楽な身分ということで、精神的には楽である。
7:00
いつものように、名鉄電車で会社へむかうべく名鉄岐阜駅へ徒歩で行く。
7:40
いつもの電車が下車駅である三柿野駅に進入する直前で首をコキッとやった後おかしくなったようだ。
降りようと立つが右へ勝手に流れ自分の姿勢が制御できない。扉に前まで行けたが、もう足が出ない。思わず、横の席に座ってしまった。扉が閉まり電車が動き始めた。ああ、遅刻だ。運転してくれる部下に悪いことをしたという気持ちが頭によぎる。電車はここから各駅停車だ。下手な無人駅で降りないようにしようと名電各務原で下車を試みた。しかし、先ほどと同じで右に傾いて前へ進めない。意識はハッキリしている。この区間の乗客は少なく車内は閑散としている。そのまま電車に乗ったまま名電各務原を過ぎたところで車掌が異変に気付いてくれた。
車掌「どうしました?気分がわるいのですか?」
私「歩くことができない」車掌「新鵜沼で救急車を手配しましょうか」
私「お願いします」
救急手配を終えて車掌が再びやってきた。
「救急車員を手配しました。新鵜沼の駅員が待っていますから、動かず、そのまま車内で待っていてください」
ありがたかった。
果たして、新鵜沼に着くと駅員が2名、私に声を掛けて、ホームへ担ぎ出してくれた。
ベンチに座らせてくれ、「もう直ぐ救急車がくるから辛抱しろよ」と声を掛けてくれた。ベンチでは、もう座っていることもできなかった。そのまま、右へ倒れるように横になった。救急車が近づく音が聞こえる。暫くして新鵜沼のホームへ救急隊がたどり着いた。意識はきちんとある。2週間前に倒れたことなども含め話をする。その場で測定した血圧は上が201だった。
新鵜沼の駅にはエレベータが無い。ホー-ムから階段を二人掛りで抱えられて駅前の救急車へ運ばれた。「東海中央病院へ行きますね」と言われた。この病院は、会社で労災があるときに行く、会社の直ぐ近くの病院だ。今まで、お見舞いでは行ったことはあるが、自分には縁の無い病院と思っていたのだが。会社待っている部下のことが気になる。意識はハッキリしているので救急車の中から、とにかく会社へ携帯電話で第一報をいれた。東海中央病院の救急治療室へ運ばれまずはCT検査を受けることになった。しかし出血などの異常はない。心電図の異常も無いもないので暫く様子を見る。ここまでは先々週と同じだ。が、暫くして嘔吐が始まった。つばを飲み込むことが出来なくなってきて変だと感じる。すると、看護師が右顔面麻痺に気づいた。直ぐに神経内科へ連絡、急遽、血液検査とMRIを受けることになった。MRIは前回と同様であったが、時間が長かった。音も前回と同じ音だけでなく、もっと様々な音が聞こえた。つまり、検査箇所がかなり広範囲だった。その結果、右小脳の脳梗塞が発見された。また、マヒ症状から見て、脳幹も一時的に脳梗塞になったと診断された。おそらく、血液はどろどろでしょうと。
見つけてくれた。
今までの不安が解き放たれて、何かすごく安心した。
即入院となる。病室が空いていないということで、差額ベッドの二人個室となった。当面の治療方針としては脳保護と血液改善の点滴治療を受ける凡そ二週間の入院、その後1ヶ月は様子を見ることになるとのことだった。この時点でほぼ正午であった。
15:00頃
一通りの救急治療措置を終え症状が安定したところで、遅目の昼食となった。看護師は心配そうに流動食にするか?と聞いてきた。自分としては麻痺も消えて、食べられそうな感じなので、「食べたい」と言うと全粥食を出してくれた。食事をしようととベッドから体を起こそうとするが、発作時と同じで保持出来ず右に傾く。看護師にベッドを起こしてもらって体が安定したら平然と食べることができた。
ひと安心だ。
18:30
病院の夕食時間となった。体調は良い感じだ。
あれほど不調だった目の具合もハッキリ見える。
当然のように夕食も、昼食と同様に食べる。
ベット上に上半身を起こすが昼と同様に保持出来ず右に傾く。
ベットを起こしてもらって食べ始めた。が、急に嘔吐してしまった。
まだまだ、無理か。結局、栄養分も点滴補給となった。今夜は一晩中点滴が続く。
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