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2006年12月31日 (日)

2006年の撮影の思い出

いよいよ大晦日である。ここで1年間の総括をしよう。

私にとっての、2006年の一番の思い出となった撮影行は、やはり、台湾平渓線であろう。
豪雨直後という悪条件であったが、素晴らしい渓谷を行く姿、久しぶりに見たバック運転のC12。
バタバタと追っかけをせずに地図を片手に撮影場所探しという、自分の撮影スタイルの原点に帰っての撮影。色々な意味で当分忘れられない撮影行となった。
20061231dsc_1129


データ的には

昨年(2005年)は新雪の中を行く真岡のC12で始まり、雪の城端線で終えた。
11路線、のべ69日・線であった。

一方、今年(2006年)は、デジカメも含めて積算するようにしたが、雪晴れの樽見鉄道に始まり、最後は、お手軽な高山線・名鉄各務原線となりそうだ。
路線数21、のべ71日・線であったが、このうち36日・線が、デジカメのみ。
銀塩はわずか35日・線となってしまった。
路線にしても、仕事のついでに撮った、樽見、西濃、関西、高山、名鉄が39日・線を占めているから、実質的には半減以下といえよう。
フィルム消費量は、KL200=8.5本、RHP=1本、モノクロは0本だった。
昨年は、KL200=9.5本、RHP=7本、TX=2本だから消費量でも半減だ。

特に、真岡はわずか5日で前年の毎月撮影からは大きな減少となってしまった。
大井川はボランティアに行った1日だけである。
実質的なトップは真岡で次に続くのが、台湾、城端、明知となった。
もし、内湾線CK124の撮影に行っていたら、今年の実質最多路線は台湾ということになっていた!


もっとも、自由に撮影に出かけられない今の身にあっては、早く健康な体に戻って
カメラバックや三脚を担いで外出したいのが本心だ。

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2006年12月27日 (水)

ようやく撮影

今日は、ようやくD200を1台だけ持って電車に乗った。入院以来、実に3週間ぶりである。
こんなに長いこと、電車に乗らなかったのは平成元年に入院して以来である。
まだまだ、ホームと車体の隙間は恐怖であるし、確実に座れる状態でないと自信がない。
足元を考えれば人の多い所や自動車の多い所は無理なので出来るだけ長閑で手近な所ということで、各務原線で岐阜・各務原の市境付近へ行ってきた。
既に入院前に工事中だった各務原線の田神~新加納の新駅舎と自動改札は供用を開始していて何か随分長い間、各務原線を使っていない感じがしてしまった。

新加納で降りると、いきなり目の前の高山線をキヤ91が通過していった。
そのキヤと交換でやって来たのがこのキハ11だ。

20061227dsc_1979

寒風を受けるだけで頭痛がする。長居はせず、さっさと引き上げた。
まだ、歩く時間は通常の2倍はかかる。せめて、1.5倍程度までには回復したい。

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さよなら、コダクローム

昨年、今年と年末に衝撃的ニュースが届いた。

昨年12月、私の愛用するコダクローム200(KL/PKL)の国内販売中止、そして、ついに今年12月には、コダクローム(KR/PKR)の国内販売中止である。
そして、最も恐れていた国内現像の中止は2007年12月20日となった。あと1年しかない。

思いおこせば、私がリバーサルを初めて使ったのは1976年。このときは借り物のオリンパスフレックスにエクタクロームであった。その後、自分のカメラで135サイズのリバーサルとして初めて使ったのがコダクローム64(KR)。1979年のことだ。あれから30年弱、最初はKR、その後KLへ切り替えたが、メインフィルムとしてコダクロームを使い続けてきた。

デジカメの勢いは凄まじい。私自身、*istDS、D200の購入後は撮影の殆どがデジタルになってしまった。WEB掲載の写真は最近は殆ど全てがデジカメ分である。
それでも、”ここぞ”というときは銀塩それもコダクロームである。

ラチチュ-ドが狭い、KRの感度は公称ISO64とおよそ鉄道向きではない。
でも、風景中心で撮る分には実に素晴らしい。

だから、私は銀塩、それもコダクロームから離れられない。色のダイナミックレンジの広さが格段に違う。
ダイレクトプリントをしても判らないが、透過して見た画像や自分でフィルムスキャンをしてみてスキャナの設定を触れば触るほど、フィルムから色が湧き出てくる驚き。これはコダクロームでしか味わえない。

むろん、あの色合いをスキャナで再現することも難しいのだが、やはり、コダクロームの魅力から離れられない。

そう思って、今年の1月には、名古屋市内のカメラ屋でKL200を買いあさった。その数、25本。
これだけあれば、1年は持つであろうと。

20061227nec_0023


結局、仕事多忙ななか、最後は入院でとどめを刺されて、買い溜め後のKL200の消費は、わずか7本。私の撮影仲間の1回のフィルム消費量にも満たない量である。
残るフィルムも使用期限は2007年1月で、今使用中と同じエマルジョンだ。これは冷蔵庫で延長させてるが、現像は前述の通り、2007年12月20日。
果たして、このフィルムを使い尽くすことができるのであろうか。


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2006年12月25日 (月)

やっと線路際

今日は、初めて生きた線路際まで歩くことができた。
ここは各務原線の名鉄岐阜駅。最右の線が元の田神線で、今は1500V車の電留線となっている。
ここからは、JR東海道線の高架も見ることができるので、久しぶりに貨物列車も見ることができた。
しかし、まだ歩き方は夢遊病者のようだし、帰りに本を一冊買っただけなのに歩くとフラフラする。
カメラバックを担いで・・・・は、果たして何時になるやら。
携帯写真で御免です。
20061225nec_0023

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2006年12月24日 (日)

内湾線のCK124(12/23の様子) 

昨日も、くやしい思いをしながら内湾線のCK124のレポートを台湾や日本のWEBで見ていました。
今日24日は最終日ですのでWEBで様子を見ることになりますが、昨日までのように悔しい思いはしなくてよさそうです。

22日の運転は上下共にCK124が内湾側。 この日はVIP-DAYだから特別で仕方がない。
台湾の掲示板には23日の上りは、DLの推進とあったのです、23日は、いよいよ上り列車はCK124のバック運転かと思っていたのですが・・・・・・・。

 12月23日の上り360次の走行写真を見ると、私のねらい目とするバック運転があるはずの上り列車は、
なんと、機回ししておらず下りと同一編成でした。
すなわち、DL(R60)がヘッドライトを輝かせた先頭で、CK124はぶら下がりです。

よくWEBを調べると23、24日のCK124の運用票の写真がありました。
これをよく見ると、361B次と、360次に「推進」と手書きしてあります。361次と360Aにはありません。

どうもATPの導入により、CK124はバック運転で先頭に出られなくなったようです。

これでは、もし私のようにバック運転を狙って行っていたら大いに落胆したでしょう。

しかし、「蒸氣老火車懷舊之旅」と名乗っているのに、上りに乗った人たちにとっては、DL牽引で肝心の蒸気老火車CK124がぶら下がりでは詐欺にあったような感じではなかったのかなあと思います。

    今回の編成
       新竹 <DL+40TP32200/40TPK32200×4+CK124> 内湾
 


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2006年12月23日 (土)

初めての外出

今日は初めて、線路のあるところまで外出した。
退院時、病院を出ただけで、外光や騒音、周囲の景色で錯乱状態になってしまったが、今日は混乱することなく外を歩くことができた。
既に、市内線の軌道のうち忠節支線の徹明通りは徹明町~金町間が綺麗に撤去され、舗装されていた。
金公園へいってみると、モ513にはクリスマスの飾り付けがされていた。
しかし、良く見れば運転席に窓ガラスが石を投げられたのか割れているのが悲しい。
20061223nec_0026
さて、外出は、途中で力尽きて、バスでの帰宅となった。 バス(それも低床では無いIKコーチ製の旧型の元市営バス)に乗れただけでも大成果であるが、先は長そうだ・・・・・。

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内湾線のCK124(12/22の様子) 

20061223naiwan_1内湾線のCK124は予想に反した良い天気の下で運転されたようです。

新竹縣のWEBに初日の様子が載っています。
また、台湾のblogにも出始めています。
下記には撮りたかったアングルもある。
 → E211

しかし、大きなヘッドマークだ!
23,24日の運転は、下りの新竹~竹東の時間が変更になっています。
私は、このような予定表まで作って準備完了だったのですが・・・・ →→→→→→→→→


前回の平渓線は前日の22:30に航空券の予約をして行きました。
旧客+蒸機に興味のあり、これから行かれる方はぜひ、結果をお教えいただけると助かります。

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2006年12月22日 (金)

内湾線のCK124

本日(22日)から24にちまで、台湾鐵路局 内湾線で、としてCK124が運転されています。

今回は、保存運転用として整備された、元台東線のDR2050ではなく、前回の南廻線とおなじくインド製の旧客です。
どうも、私は旧客使用時の運転が鬼門となってしまったようで、台南100周年、南廻線に続いての、断念となってしまいました。
それにしても、台鉄の情報公開度は亡国の鉄道とは大違い。
新竹縣のWEBに回送ダイヤまで載っています。
CK124蒸氣老火車停靠事宜更正啟事

ただ、残念ながら今回も後補機としてDLがつきます。現役のように長編製の旧客を引く姿をもう一度見てみたいものです。

癪なので、現役時のインド製旧客7連の夕方の通勤通学列車を単機で軽快に引く姿を添付しましょう。
(ホームページにも掲載中です。)
場所は台中市内。ホテルからトボトボ歩いて行った覚えがあります。
この辺り、今は小奇麗な公園とビル街となっているようです。
20061222_n0090_33


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退院しました

12月8日に入院以来、2週間を経て、昨日(21日)に退院することが出来ました。
歩くことはできますが、巷を歩き回るには程遠い状態でこれから1ヶ月ほどかけて社会復帰していく予定です。
従って、今日から運転される台湾の内湾線CK124は知人の報告を大人しく見ることになります。

皆様には色々ご心配をおかけしました。

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2006年12月21日 (木)

入院14日目(退院)

12月21日(木)
  4:30 目が覚めた。 今日は14時に退院だ。
       体温35.8℃ 血圧80/120 ここ数日、殆ど同じ値で安定している。
  9:30 担当医が見えた。お礼をいう。
       次回の診察は、1月19日(金)でどうかという。
       会社のルールでは、長期の病欠では、病院の許可の後、会社の産業医の
       診断を受けて許可が出ないと出社できない。
       金曜日に診察だと、産業医の診察は月曜日。出社は火曜日だ。
       流石に退院して直ぐに1週間出社はきつい。
       1月16日(火)に空きがあり、変えてもらった。
       これなら、出社は木曜か金曜日だ。
       1~2日出社すれば休みに入れるから最初の様子見としては都合がよい。

 14:00 病室を片付け、お別れをする。「また戻ってくることがないようにしろよ」と
       手術待ちの人から言われてしまった。

       看護師さん達にも挨拶。残念ながら、初日から色々面倒みてくれ、
       叱ってもくれたSさんやKさんは看護で忙しくて会えなかった。

       さあ、1Fへ降りて初めて、屋外へ出た。予想通り、目眩が始まった。
       歩道の目地や横断歩道に目眩がするようだ。
       社会復帰は簡単ではなさそうだ。

       入院費用はしめて16万円也。台湾行きの費用がそのまま化けてしまった。

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2006年12月20日 (水)

入院13日目

12月20日(水)
  5:30に目覚めるまで熟睡していた。
 10:00 担当医から昨日までの検査結果の説明
       右小脳に小さな梗塞が3ヶ所程あり。(MRI写真で白点が3箇所)
       末梢部の詰まりで脛骨動脈本流には梗塞無し。
       小脳の代謝は激しいので2週間前の痕跡は難しい。
       血液検査の結果は、血糖、血圧、コレステロールは標準値で良好。
       細菌などの問題もなし。
       ただし、善玉コレステロールが下限値でありもっと採る必要あり。
       血栓の原因としては、心房細動や動脈硬化が考えられるが
       因子の数字は良好。
       不規則な生活リズムが起因と考えられる。
       動脈硬化気味な血管が裂け、通常は出血となるところが内側が裂けた
       ところに血小板が核となって血栓を生成したと考えられる。
       血管の修復に約1ヵ月要す。

       結局の所、高血圧はない。血栓を生じたから血圧が上がったもの。
       生活習慣病によるものでもなく体はいたって健全。
       血管がダメージを受けない注意が必要。つまり、寒暖の差が激しいときに
       注意がいるということだ。
       健康診断でコレステロールがどうとか気にしているだけでは
       判らないものだったのだ。


       退院してからは少しづつ行動範囲を広げ刺激を受けるとよい。
       車も運転してよい。ということで、あとは、自分の体と相談して、
       復帰していくしかない。

       ということで、21日 昼過ぎ退院することにした。

 12:00 昼食から、これまでの全粥からご飯食に切り替わった。
       ただし脳梗塞=高脂血症食のため、全粥の時より淋しい食事に
       なってしまった。

 午後   階段上下(5F)を繰り返す。
       上りで目眩がするのは、滑り止めのステンレスに蛍光灯が反射する
       ためか。 見ないように視線を下げたら楽になった。

       体重を測ると60.8Kg。健康診断では標準値に対し2Kg超過だったが、
       見事に標準体重となった。

 21時過ぎに寝入ったのようだ。

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2006年12月19日 (火)

入院12日目(MRI検査)

12月19日(火)
AM1時過ぎに急患が入り目が覚める。30分程で再び寝入った。
  5:30 目覚める。昨日の反動か、大便が出ない。
       寝不足か波があるのか、今日はバランス感覚が悪い感じ。
       階段練習では、やはり目眩がする。
 午後   午後も階段練習、やはり上りがダメ。
       3回繰り返したら頭がドキドキしてきた。
       担当医  階段下りが出来るなら大丈夫。
       上りの目眩は、階段の段が視線に入ることによるという。
       要するにフリッカー現象か。

 16時頃 またまた部下達が見舞いに来てくれた。
       MRIがなかなか呼び出しがない。
 16:45 ようやくMRIからの呼び出し。前回のCTは車椅子だったが、
       今回は自力で歩いていく。
       途中で会社の人たちに会う。どうやら労災があったようで声を
       掛けたら渋い顔をしていた。

       今回のMRIは念入りに調べるということで40分かかると言われた。
       確かに、中にはいると今までに無い音がする。反
       響する部分も、随分下まであって胸近い。
       結局、1時間近く掛かってしまった。
       この間、動かずじっと辛抱だったので、ふらつき気味で
       病室へ戻った。

 22時の消灯後暫くして寝入ったのようだ。

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2006年12月18日 (月)

入院11日目

12月18日(月)
  4:30 早く目覚めてしまった。その後、ウトウト状態で6時になる。頭痛無し。
  9:00 今日はシャワーの日。月、水、金と風呂かシャワーに入れる。
       私は風呂の許可はまだだからシャワーだ。
       今回は、前回のようなしんどさは無い。
       やはり、どんな行動にも1回学習が必要なようだ。少しのぼせ気味。

  9:30  担当医 血圧なども安定しており、19日のMRIで問題なければ
        退院し自宅療養できるでしょうと。
        ただし、検査は午後なので、説明は20日になるという。
        きつく止められた階段練習もOKが出た。
        今日は下痢気味か腹がゴロゴロする。
        バイアスピリンの連続投与の影響だろうか。
        あるいは巷で話題のノロウイルスの院内感染か。

  12時前 高血圧で通院している、部下が見まいに来た。なにか立場が逆だなあ。

  昼食後  階段練習を繰り返した。上りでも、あまり目眩はしなくなった。
        が、しんどくなる。

  18時頃  大挙、見舞い客がやって来た。
        部下たちだけでなく、名古屋の仕事で色々世話になった人たちもだ。
        本当に申し訳なく思った。

        今いる6人部屋から今日だけで2名が退院した。

 22時消灯 しかし同室に非常識な見舞い客がおり、
        寝付き悪く、寝入ったのは23時頃か。

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2006年12月17日 (日)

入院10日目

12月17日(日)
  5:30 2~3回目覚めるが、5:30まで寝入っていた。頭痛はない。
       毎朝そうであるが、朝はバランス感覚が、悪い。
       片足立ちしてみると左足は良いが、右足だとふらつく。
  午前  今日は少し歩く速度を速めてみる。
       しかし、速めてみると直ぐに目眩がしてきた。
       まだ普通の速さには程遠いのだが。
  15時前 名古屋のプロジェクトリーダが見舞いに来てくれた。
  16時過ぎ 今の仕事の私の前任者が見舞いに来てくれた。
         私がダウンしたので、色々と面倒をかけている。
         ここのところ意外な人が続けて見舞いに来てくれる。感謝。
  19:00 いつも、ニュース時間帯にテレビをみているが、今日は30分ほどTVを
        見ても頭が痛くならない。
  22時の消灯前に寝いったが消灯時に目が覚めて1時間程寝付けなかった。

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2006年12月16日 (土)

入院9日目

12月16日(土)
 6:20 電気が点くまで寝入っていた。
      夜は時々目が覚めたがトイレへ行くこともなく殆ど寝入っていた。
      頭痛、痺れなし。
      しかし、色々な声が聞こえるようになったら少し痛くなりだした。
      頭痛は直ぐ止んだ。
 8:00 朝食後、1Fへ下り、ウロつく。3Fまで階段で上がったら疲れた。
      看護師のSさんに階段はまだ許可されていないと注意される。
      Sさんは救急処置以来ずっと、面倒をみてくれている。
      やさしくしてくれるが、厳しいなあ。
      担当医は今日はお休みだ。頭痛は寝入るまで無かった。
      右首後ろの痛みも今日は無かった。
 22時の消灯の前に寝てしまったようだ。

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2006年12月15日 (金)

入院8日目

12月15日(金)
   あの日から、1週間を超えた。
   見舞いに来る人は、何もできなくて退屈だろうと言ってくれるが、実の所
   以前に5ヶ月近く足の骨折で入院していたから、何もしないで寝ているのには
   それなりに覚悟ができている。そんなに苦にはなっていない。
   搬入時に200あった血圧も、コンスタントに125前後/82前後で
   安定するようになった。
   今朝は断続的に未明から目覚める。
   寝たり覚めたりを繰り返して6時過ぎに目覚める。
   右手足にかすかな痺れ。肩がこり、首をゴキとしたくなる。
  7:45 朝食が今日は遅い。朝食後、左首耳後下が唾飲み込んだ時に内側から
       ズキッとする。
       食堂へ行くと、看護師をしていると聴いていた職場の同僚の娘さんから
       挨拶を受けた。母親似かな。
 10:30 初めてのシャワー。久しぶりで気持ちがいいが、やはり初めての姿勢は
       保持がしんどく、少々疲れた。
       左でなく、いつもの右首後ろの痛みが始まる。
       今日はここ数日で一番バランス感覚が悪い感じだ。
 15時過ぎ 首後ろの痛みは消えたが、右前頭痛が始まる。
       その後、頭痛は治まるが右首後ろの痛みは復活。
       気付かなかっただけで、ずっと続いていた?
 17時過ぎ 1Fへ降りて歩く、階段は上りより下りが怖いと思い、避けていた
        下り階段に挑戦。上りより楽だった。
        前回と同様に歩くと両手が痺れる。
       担当医 右首後ろの痛みは今回の症状と関係ありという。
 19時過ぎ どこで聞き付けてきたのか、かっての研究仲間が見舞いにきた。

 22時の消灯前に寝てしまった。


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2006年12月14日 (木)

入院7日目

12月14日(木)
  4:30 目覚める。
       病院でのリズムに慣れ、22時前には眠り、5時前後には目が
       覚めるようになった。
       今日は入院以来、最も頭がスッキリした感じだ。
  9:30 担当医から、MRI検査を12月19日に行うと言われた。
       それまでは入院継続だ。
       この検査結果によって退院して自宅療養か、入院継続かが決まる。
       院内歩行は上下階も許可された。

 午後   早速、1階までエレベータで降りてみる。これまでは病室あるフロア
       だったが1階は外来や見舞い客が歩いている。
       さあ、ちゃんと歩けるだろうか。
       とりあえず、ロビーや売店付近などを歩いて見る。
       どうも、初めての所は、目眩がするが、2往復したら慣れてきた。
       この分なら階段も行けそうかなと階段へ行ってみると以外と上がれた。
       ただ、なにか目がくらくらする。
       2階まで息付きながら上がって、エレベータで5階の病室へ戻った。

 夕方   会社の同僚が見舞いに来た。

 21:40 早めの就寝

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2006年12月13日 (水)

入院6日目

12月13日(水)
  5:00 目覚める。
  7:30 今日からは朝食後バイアスピリン服用だ。
       今朝は少しバランス悪いようだ。
       洋式トイレで前かがみにしたら、そのまま扉へ倒れこんで
       暫く体が起こせなかった。やれやれ、これも、学習が必要か。

  9:00 看護師さんに体を拭いてもらう。バジャマに着替え。

 10:00 担当医 直進歩行と一直線歩行をチェックに来た。
       初日のMRI写真で説明を受ける。MRIでは右脛骨動脈部の流れが
       ぼやけている。
       ここは脳幹等あり血管も曲がっていて乱れの多い部分でココが悪さした
       可能性があるという。
       外科手術的には脳幹等が錯綜しており避け、抗血小板剤で治療を進める。
       様子みて退院。通院に切り替える。
       血圧は脳梗塞後の降下値として良好なので降圧剤は不要。
       歩くことができるようになったので、昼食からは配食から食堂食へ
       切り替えとなった。
 12:00 放送があり、昼食のため食堂へいく。
       果たして、お盆が持てるか。と思ったら事前にテーブルに私の分だけが
       置かれていた。
       食事後、お盆を片付ける。問題なく持てた。
       なんとか食事は自力で行けることが判った。

  午後  15日(金)にシャワーの許可が出た。

       朝から続いていたキーンという頭痛は夕方には治まった。

 21:30 就寝、1時間程で寝たようだ。

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2006年12月12日 (火)

入院5日目

12月12日(火)
  5:00 目が覚める。相変わらず、隣は無神経にテレビを付けている。
       咳の音は慣れたようだ。普通の刺激に対しては、1回経験すれば
       あくる日からは大丈夫なようだ。
       逆に言えば早く色々な刺激を学習しないと復帰できないということだ。
       テレビは昨日と同じく1分もたてば頭痛がする。

  9:30 担当医から説明。血管になんらかの傷ができ、そこにできた固まりが
       なんらかの拍子でとれて脳幹で詰まった。
       脳幹をやられたことを非常に心配していた。再発すれば、命の心配もある部位だからだ。
       13日から投薬療養とし、バイアスピリン100で血液改善するという。
      
       午前の点滴2本が早く終わったので、昼から何度も階内を歩く。
       まだスピードは上げられない。
       何度も往復するうちに頭がキーンと鳴りだす。
       一眠りしたら楽になったが音は鳴り止まない。
 14:00 シーツ交換
 17:00 担当医が再び様子を見に来た。血液検査は異常無し。
       コレステロールも問題ない。
       いわゆる高脂血症という生活習慣性の梗塞では無いと言う。
       問題はなぜ首の血管が詰まり易いかだ。
       夕食後、点滴2本を受ける。
 21:10 最後の点滴終了し入院以来の点滴針が抜かれた。
 22:00 消灯後30分程で眠りについたようだ。

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2006年12月11日 (月)

入院4日目(CT/超音波検査)

12月11日(月)
   6人部屋だと色々な人がいる。隣は酒の溺れて肝臓を悪くしたようだ。
   生活がルーズなのだろう。
   病院でも周りに気にすること無く消灯後もテレビを見ている。
   このテレビの明かりが眩しくい。
   どうも光の刺激が脳にきついみたいで寝られない。
   昔、問題となった「ポケモン騒動」と同じで私の脳の光刺激への耐性は
   幼稚園児級のようだ。
 6:00 頭痛はなく朝から楽。
      Kさんに叱られたので、看護師さんに付き添ってもらって自力でトイレへ行く。
 9:30 担当医から説明 13日から点滴から薬へ切り替え。
      CT、MRIからの所見の説明を受ける。
      血管内に出来た血の塊が首ゴキで脳へ送られて血栓になったらしい。
      フロア内の歩行許可をもらう。
      テレビも脳に刺激を与えるために見て良いと。
      会社に提出するために診断書を書いてもらう。加療一ヵ月だ。
 午後  首の超音波検査と頭のCTを受ける。
      車椅子に乗せられ点滴をしっかり持ってなさいと言われると、
      看護師のSさんが元気良く押していってくれた。
      今日は午前3、夕食後2本の点滴を受けた。
      食事は全て食べれた。
      テレビは、見ると1分もたたない内に頭痛がする。切って暫くすれば頭痛は
      治まる。  これも、暫くの辛抱か。
      この病室には肺炎の患者もいる。私の脳は光だけでなく咳に過敏反応する。
      咳の都度、頭がふらつく。

      歩きは右に寄ることはないが反応が鈍くて安定遅い。
      ゲインの低過ぎる比例制御みたいだ。
      少し早く歩こうとしたら足だけ先に行き頭が追い付かない。

 22:00 就寝 意外に早く眠りに入ったよう。

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2006年12月10日 (日)

入院3日目(歩行開始)

12月10日(日)
  5:00 頭痛がひどくて目が覚める。 たまらず、薬もらうが治まらない。
  7:30 朝食だが頭痛が治まらない。
       たまらず朝食はベットを起こしてもらう。お粥も少し残してしまった。
 9時ごろ 今日の点滴が始まった。
       昨夜の患者の容態は非常に悪いようだ。
       この先、色々な救急処置が必要になりバタバタするからと、
       6人部屋へ移った。
       病室は移ったが看護師のローテーションとしては同じチームの担当なので
       面倒を見てもらえる看護師の顔ぶれは同じだった。
       点滴が始まってから頭痛が治まってきた。
       昼食は自分で起きて食べることができた。
 夕方   点滴が一旦終わった。また夕食後にあるという。
       体が自由になったので、看護師のKさんに助けてもらって立ってみる。
       少しフワフワするが自立出来た。病室の窓まで歩くことができた。
       久しぶりに見た外の景色に感激した。
       この後トイレも自力で歩いていってみる。
       初めての自力歩行後は直ぐに看護師が血圧チェック。
       もう以前の平常値に戻っていて血圧は異常なし。
 19時頃 夕食後の点滴が始まった。22:00の消灯までの辛抱だ。

 22:00 点滴が終わり消灯。
       夜中にトイレへ行きたくなり、自力でトイレへ行った。
       翌朝、チャンと看護師を呼びなさいと看護師のKさんにきつく叱られた。

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2006年12月 9日 (土)

入院2日目

12月9日(土)
       無事、一日が過ぎ朝を向かえることができた。
       今日も相変わらず点滴だ。総量1600CCを一日かけて注入するととう。
  7:30 朝食の時間だ。
       果たして食べられるだろうか。今回は果たしてベッドから自力で
       起き上がることができた。 一歩前進だ。
 9時過ぎ 担当の神経内科部長が様子を見に来た。 
       今日も相変わらず点滴だ。総量1600CCを一日かけて注入するととう。
       医者は室内なら歩く練習して良いという。
       もっとも、一日中点滴の上での歩行訓点はちょっときつい。
       結局、歩行訓練はできなかった。
       隣の人が手術のため病棟を移動し、独りになる。

 午後   会社の上司、同僚が相次いで見舞いに来てくれた。
       「まあ、仕事は忘れて治療に専念してくれ」と。
       決まり文句であって今の仕事の状況では、そうは行かないのも事実だが、
       今の自分にはどうにもならない。任せるしかないのだから開き直るだけだ。
       担当医から言われたように、1ヶ月は会社に出られないと伝えた。

       昼食、夕食も問題なく、自分で体を起こして食べれた。

 22:00 病院の消灯時間になったので寝る。
  0時頃 急患が入ったようだ。
       看護師達が慌しく、隣の準備をしていて、あまり寝れない。

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2006年12月 8日 (金)

運命の日

2006年12月8日(金)
 6:30 朝の血圧は135/83。朝にしては、いつもに比べ高い。
      昨日、一昨日と同様に頭が重い。
      とはいっても、今日は名古屋行きだ。いつもはマイカーで直行であるが、
      今日は部下の運転する社用車に同乗という気楽な身分ということで、
      精神的には楽である。
 7:00 いつものように、名鉄電車で会社へむかうべく名鉄岐阜駅へ徒歩で行く。
 7:40 いつもの電車が下車駅である三柿野駅に進入する直前で首を
      コキッとやった後おかしくなったようだ。
      降りようと立つが右へ勝手に流れ自分の姿勢が制御できない。
      扉に前まで行けたが、もう足が出ない。思わず、横の席に座ってしまった。
      扉が閉まり電車が動き始めた。ああ、遅刻だ。運転してくれる部下に悪い
      ことをしたという気持ちが頭によぎる。
      電車はここから各駅停車だ。下手な無人駅で降りないようにしようと
      名電各務原で下車を試みた。
      しかし、先ほどと同じで右に傾いて前へ進めない。
      意識はハッキリしている。この区間の乗客は少なく車内は閑散としている。
      そのまま電車に乗ったまま名電各務原を過ぎたところで車掌が異変に
      気付いてくれた。
       車掌「どうしました?気分がわるいのですか?」 私「歩くことができない」
       車掌「新鵜沼で救急車を手配しましょうか」 私「お願いします」
      救急手配を終えて車掌が再びやってきた。
        「救急車員を手配しました。新鵜沼の駅員が待っていますから、動かず、
         そのまま車内で待っていてください」
      ありがたかった。
      果たして、新鵜沼に着くと駅員が2名、私に声を掛けて、ホームへ
      担ぎ出してくれた。
      ベンチに座らせてくれ、「もう直ぐ救急車がくるから辛抱しろよ」と
      声を掛けてくれた。
      ベンチでは、もう座っていることもできなかった。
      そのまま、右へ倒れるように横になった。
      救急車が近づく音が聞こえる。暫くして新鵜沼のホームへ
      救急隊がたどり着いた。
      意識はきちんとある。2週間前に倒れたことなども含め話をする。
      その場で測定した血圧は上が201だった。
      新鵜沼の駅にはエレベータが無い。ホー-ムから階段を二人掛りで
      抱えられて駅前の救急車へ運ばれた。
       「東海中央病院へ行きますね」と言われた。
      この病院は、会社で労災があるときに行く、会社の直ぐ近くの病院だ。
      今まで、お見舞いでは行ったことはあるが、自分には縁の無い病院と
      思っていたのだが。
      会社待っている部下のことが気になる。意識はハッキリしているので
      救急車の中から、とにかく会社へ携帯電話で第一報をいれた。
      東海中央病院の救急治療室へ運ばれまずはCT検査を受けることになった。
      しかし出血などの異常はない。
      心電図の異常も無いもないので暫く様子を見る。
      ここまでは先々週と同じだ。
      が、暫くして嘔吐が始まった。つばを飲み込むことが出来なくなってきて
      変だと感じる。
      すると、看護師が右顔面麻痺に気づいた。
      直ぐに神経内科へ連絡、急遽、血液検査とMRIを受けることになった。
      MRIは前回と同様であったが、時間が長かった。
      音も前回と同じ音だけでなく、もっと様々な音が聞こえた。
      つまり、検査箇所がかなり広範囲だった。
      その結果、右小脳の脳梗塞が発見された。また、マヒ症状から見て、
      脳幹も一時的に脳梗塞になったと診断された。
      おそらく、血液はどろどろでしょうと。

      見つけてくれた。今までの不安が解き放たれて、何かすごく安心した。

      即入院となる。病室が空いていないということで、差額ベッドの二人個室と
      なった。
      当面の治療方針としては脳保護と血液改善の点滴治療を受ける凡そ
      二週間の入院、その後1ヶ月は様子を見ることになるとのことだった。
      この時点でほぼ正午であった。

 15:00頃
       一通りの救急治療措置を終え症状が安定したところで、遅目の
       昼食となった。
       看護師は心配そうに流動食にするか?と聞いてきた。
       自分としては麻痺も消えて、食べられそうな感じなので、「食べたい」と
       言うと全粥食を出してくれた。
       食事をしようととベッドから体を起こそうとするが、発作時と同じで
       保持出来ず右に傾く。
       看護師にベッドを起こしてもらって体が安定したら平然と
       食べることができた。 ひと安心だ。

 18:30 病院の夕食時間となった。体調は良い感じだ。
       あれほど不調だった目の具合もハッキリ見える。
       当然のように夕食も、昼食と同様に食べる。
       ベット上に上半身を起こすが昼と同様に保持出来ず右に傾く。
       ベットを起こしてもらって食べ始めた。が、急に嘔吐してしまった。
       まだまだ、無理か。
       結局、栄養分も点滴補給となった。今夜は一晩中点滴が続く。


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またまたダウン

12月8日に再び救急車のお世話になりました。
脳梗塞で今度は入院です。
幸い処置が早く、ベットからこんなことが出来る状態でいます。
当然、楽しみにしていたクリスマスイブの内湾線CK124撮影は断念。
WEB更新も退院まで中止させていただきます。

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2006年12月 4日 (月)

いよいよ新岐阜駅前

軌道撤去が本格化。
いよいよ今夜は新岐阜駅前~金宝町でも開始されました。
今夜は、このほか徹明町~金町でも工事が行われています。
写真は新岐阜駅前の今夜(携帯写真ご容赦)
20061204nec_0021


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その日まで

2006年12月4日(月)
  出社前の血圧128/79
  降圧剤を飲みだしてから、気持ちの悪いふらつきがする。
  今朝は薬を飲むのを止めた。
  出社すると、部下の仕事の仕方で何やら騒ぐ外野がいる。
  これで一日中振り回される。こういう仕事が一番精神的に悪い。
  19:00からの会議は、上司に断りを入れて18:00に退社する。
  就寝前の血圧は132/76と高くなっていた。

12月5日(火)
  出社前の血圧123/84 今日も降圧剤を飲まず。
  昨日の外野が、まだ騒いでいるようだ。他人の悪さ加減を見つけては
  首を取ったように喜ぶ輩だ。
  それに振り回される上司と共に火消し仕事に振り回される。
  非常にしんどくなる。重い頭痛もし始める。
  明日は休みたいが、この火消し仕事を片を付けねばならない。
  19:00退社

12月6日(水)
  出社前の血圧121/76 今日は精神安定剤も飲まず。
  結局、これがふらつきの原因だったようだ。しかし、体は重くだるい。
  外野の騒ぎは不正確情報による早とちり。そうと判ったら謝りもせず黙りこくる。
  勝手なものだ。うっとうしい仕事はほぼ片付いた。
  金曜日は久しぶりに名古屋へ行く予定だ。
  金曜日の名古屋行きは、リーダーとしての儀式的なところがあり、気が楽であるから
  実質的な仕事は明日までだ。とにかくがんばろうと自分に言い聞かせた。

12月7日(木)
  出社前の血圧129/87
  ちょっと高い。降圧剤を飲む。まあ、今日一日辛抱すれば良いと思い出社。
  今日は、ディーラに車のスタッドレスタイヤの新調をお願いしてある。
  帰宅後、タイヤが交換されていることを確認。
  さて、なんとか今週の仕事も乗り切った。
  この分なら内湾線は行けそうだと踏んで、UA831便の予約処理をする。
  が、システムエラーとなって予約できない。まあ、明日の帰宅後にやれば良いか。
  そう思って就寝する。
  就寝前の血圧 115/92

そして、運命の日を迎えることになった。
 

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2006年12月 3日 (日)

EMU700=名鉄2200系?

台湾鐵道網などを見ると、来春に流線型通勤電車EMU700が登場予定とある。
台湾鐵路局の記事によれば、製造は日車で、これは日車製のDRCが好評であるとか。しかも、このEMU700は名鉄2200系空港用急行車に似た車両だという。
20061203dsc_1960ec2200


しかし、鐵路局の記事を読む限りは、車体はステンレス。前面はアルミとあるから、どちらかといえば内装が2200系と同じ3300系の方が近いように思う。まあ、一般受けには空港用車両と言ったほうが良いのであろう。
しかし、そうなると私がいつもの通勤に使っている車両が台湾でも走るわけで、少々怖い感じである。

そういうわけで、電車の写真が撮るまで回復できたか試しに撮ってみました。

果たして、どちらに近い姿で登場するやら。左:名鉄2200系、右:名鉄3300系
20061203dscec2200ec3300


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Cutting

軌道撤去が進む岐阜市内線。
まだ撤去されていない区間でもレールには切断跡がクッキリと付いて死亡宣告を受けているようなものだ。

いづれも、忠節支線にて。

金公園前
20061203dsc_1973

千手堂付近
20061203dsc_1974


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2006年12月 2日 (土)

今日の軌道跡

今週は病院通いの途中で忠節通りが工事しているのが見えていたが、体が言うことを利かなかった。
ようやく今日は歩くことができるようになったのを幸いに市内線の軌道の撤去状況をスナップしてみた。

新岐阜駅前電停付近  20061202shingifudsc_1938

既に、駅舎の取り壊しは、第一段階を終了。次は新駅舎の建設とバスターミナルの解体だ。
軌道の方も交差点付近が撤去されていた。











金宝町付近20061202kinpoudsc_1931

最初に撤去が開始された徹明町交差点の工事は金宝町まで連続的に進められ、電停付近までが既に綺麗に舗装されていた。










金町付近20061202koganedsc_1928

ここは先週に工事が行われ、交差点の軌道が撤去済みだ。











西野町付近20061202nishinodsc_1957

千手堂交差点は既報の通り撤去済みだが、その北の区間は忠節橋まで殆ど手付かずだ。










忠節橋南詰め20061202chusetsukitadsc_1954

ここも交差点だけが軌道を撤去されている。
しかし勾配区間にはカッターが入っており、軌道撤去は近いであろう。











忠節橋北詰め(早田)20061202soudendsc_1945

ここも交差点の軌道が撤去されている。忠節橋内の軌道は近年舗装改良されたためか後回しなのだろうか。











忠節(鉄軌分界点)20061202chusetsudsc_1940

既に専用軌道撤去が始まっていた。忠節の駅舎は残っているが人の居なくなった建屋の劣化は激しいようだ。

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2006年12月 1日 (金)

12月の更新

12月の更新を行いました。
今月のギャラリーは、12月1日に廃線となった神岡鉄道・旧国鉄神岡線です。
これまで岐阜県の旧国鉄ローカル線は全て第3セクターとして生き残ってきましたが、とうとう最初の廃線となってしまいました。

   ロコのページ

実は、最後に今年は1回は撮影をしたいと思っていたのですが、最後の週末は過労で倒れていました。
ようやく回復してきましたのでクリスマスイブのお楽しみ(??)を目指して調整をしていくつもりです。

20061201p3301290


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