1回目の発作
2006年11月25日(土)
相変わらず名古屋の工場建屋へ入ると目の具合がおかしい。
他所ではそう気にならないから、この建屋の照明固有のことだろうと思っていた。
今日は、名古屋へは行かず、岐阜で仕事だ。
17:30頃
仕事を終えて帰宅へ。
11月5日の故障以来ずっと出社が続いていたが明日は休めそうだ。
今年は紅葉も撮ってないが、遅れ気味の紅葉と廃止を間近にした神岡鉄道へ
写真を撮りに行って気晴らしでもしようか。
そう思うと、ちょっと気が楽になって家路へマイカーを走らせた。
いつも通る道をいつものように走らせる。いつもとおる信号付き横断歩道に近づく。
ここは、信号無視の横断者が多いので気を付けるところだ。
右手から勢い良く、自転車が渡ってきた。なんという無謀な!徐行して進む。
と、思ったら突然、赤信号が視界に入り急ブレーキだ。
なぜだ。ブラックアウトしたように、ぜんぜん、赤信号が視野に無かった。
なぜだ?
なんか、おかしい。疲れのせいかと思いつつ。
21:30
明日は撮影と思い。風呂に入った。
湯船に浸かり、「ああ気持ちいい」と思った瞬間だった。
キーン耳鳴りがが始まった。
のぼせたか、と思いながら体を洗って風呂を出る。
22:10頃
ちょっと、頭が痛い。しんどいなあと思いながら、居間で休んでいると、
名古屋の工場から機械が壊れたとHELP電話だ。
業者でないとできないことを尋ねられても、なんともならない。
そのために名古屋にいる要員が居るのに帰宅させといて、こちらに
電話を掛けて来たのだった。
明日で良いか?了解を取って、電話を切る。
そのまま、横になってしまった。
22:30過ぎ
楽になった。HELP電話のことが気になる。
とりあえず、岐阜の工場へ機械の資料を調べに行くことにする。
車で工場へはこの時間なら20分ほどだ。
そして、2Kmほど走った岐阜市内で、視界がぐるぐる回りだした。
だめだ。路肩に車を止めて休む。5分ほどで、視界は戻った。
とにかく自宅へ帰る。特に、ふらつくことなく帰宅。
狭い我が家の駐車場へも難なく車を納めた。そして、下車すると
思った方向へ歩くことができない。体が右へ傾いて目が回る。
結局、見兼ねた母親が救急車を呼んだ。
多分 23時半頃だろう。
救急車内での血圧測定は158/104だった。
救急車で近くのA大学付属M病院へ運ばれた。
すぐさまCT撮影。出血は無いということで点滴。
ひとまず様子を見ることになったが特に様態の変化もなく血圧も下がったので、
AM1:00に帰宅となった。
11月26日(日)
朝7:30の血圧は、108/70。
まるで、昨日のことは嘘のように体調は穏やかだ。
とはいっても、救急車騒ぎの直後。撮影などもってのほかで一日中
大人しくしていた。
夜20:00の血圧は127/89 ほぼ平常な血圧に戻っていた。
明日は月曜日、朝から重要な会議が目白押しだ。出社できるか。
11月27日(月)
出社のため6:00起床。しかし、締め付けられるように頭全体に頭痛がする。
出社を諦めて会社に電話するが出ないので留守電をいれておく。
7:30 血圧は97/59。8:15には122/80となった。
9:00 頭痛は続く。痛みは前の方へ集中して来た。
首の右後ろがこったように痛い。
10:30 土曜日に搬送された、M病院へ行く。
病院に入ると、名古屋の工場と同じように照明で目眩がする。
あの工場だけでは無いのか!
脳神経外科で診察を受ける。
首の痛み、目の眩み、頭痛など思いつくことは全て言った。
血圧は160/108と土曜日より上がっていた。
即座にMRI検査となった。初めてのMRIだ。
磁気共鳴検査というだけあって、頭の中で共鳴して色々な音がする。
約20分間じっと動かず我慢せよと言われたが、思ったほど長くなかった。
MRI検査を終え、診断を待つ間、横になる。
診断室に呼ばれて、ふらつく足で行くが、異常が無いという。
過労によるだろうという診断。なんということだ・・・・・・
今日と土曜日の救急治療の精算をして帰宅する。
頭痛は治まらず、横になった。
21:00 血圧は122/83 正常だ。とにかく寝る。
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